先日「シャドウ&ライトオラクルカート」についてグーグルで調べておりましたら、ちょっと気になる記事を発見致しました。
某所でオラクルカードを使ってセッションをしている方のブログなのですが、このカードのことを「闇の存在からのメッセージ」と書いておりまして、なんじゃそりゃーと。
まあいかにも絵がおどろおどろしいので、そういう誤解をされたのかもしれませんが、同じような誤解をされている方の為に、ちょっと長いですが解説をば……。
まずこのカードのタイトルは「シャドウ&ライト」です。つまりこれはそのまんま「影と光」ですが、これを闇と光と誤解されているのかなと。
これは闇と光というよりは、分かりやすく言うと「陰と陽」ですわ。面白い図があったので貼っておきます。
万物は全て陰と陽から成り立ち、片方のみでは存在しえないという思想です。
私たち日本人ならびに東洋人にはなじみが深いのですが、これが西洋では異質というか異端な考えなのですわ。
キリスト教文化が基盤となる西洋では、この世は神の光で満たされているという教えなので、影という存在は考えられないのです。
つまり影=闇となり、人が持つ感情的弱さや理屈や理論で割り切れないブラックボックスなものは、全て罪だとされていました。
許されるには懺悔をしたり、祈りを唱えたりという宗教行為が必要だったわけです。
もともとヨーロッパには日本と同じ自然宗教が存在しまして、数々の神や精霊が土地ごとに崇拝されていました。
それがローマ帝国の国教にキリスト教が制定されると、一神教故に他の神々や精霊は弾圧され、悪魔とカテゴライズされてしまうのです。
画像は有名な悪魔アスタロトですが、もともとはアシュタルテという豊穣の女神です。古代アッシリアではイシュタルと呼ばれていました。
私はクリスチャンなのですが、こういう黒か白か的な西洋的不寛容には、ちょっとついていけないものがありますわ。
んで、その異端とされてしまった自然霊には、日本における「妖怪」に近い存在もおりまして、これは「妖精」と呼ばれキリスト教社会でちょっと特殊な生き残り方をしたのです。
つまり台所に住んで家事をこっそり手伝ったり、あるいは寝ている人に悪さをしたりという民間信仰的なものですが、なにしろキリスト教的にはグレーゾーンなので、おおっぴらに崇拝することはご法度です。
今日妖精というと羽の生えた可愛い女の子のイメージですが、あれが定着したのはヴィクトリア朝時代以降で、それ以前妖精といえばほとんどが醜い姿でした。
またエルフといえばオーランド・ブルームですが(?)、あのエルフのイメージを広めたのはトールキンの「指輪物語」で、イギリスでエルフといえば正確には「ハリー・ポッター」の屋敷しもべ妖精が近いです。
有名な妖精の取り換えっ子。
この赤ん坊を取り変えている黒いのは悪魔ではなく、妖精です。
つまり非キリスト教的存在故に、妖精たちは本来アウトローなものでした。
かれら自然神を信仰するペイガン(日本でいえば神主や巫女にあたる)は、魔女や悪魔崇拝者として、魔女狩りで徹底的に弾圧されてしまいます。
日本では人気な「ハリポタ」ですが、魔術や伝統的な妖精が多数出てくるため、熱心なキリスト教信者の親たちからは「読ませたくない」との声も多いとか。
こういう人たちには、水木しげるの妖怪漫画なんてとんでもないんだろうな〜。あ、うちの実家には小学館入門百科シリーズの妖怪本全部揃ってますから。
さて、長いことキリスト教社会の中で、こういった古い信仰や妖精、神々は抑圧されていたわけですが、産業革命とともに伝統的な価値観が崩れると、それにスポットライトを当てようする動きがありました。
これが有名な神秘主義、アレイスター・クロウリーやダイアン・フォーチュン、アーサー・ウェイトらによる魔術研究です。
タロットは彼らの研究の成果によって生み出されたと言っても過言ではありません。
また、タロットには悪魔のカードがありますが、あれは単純に悪魔崇拝ということではありません。
悪魔とは人の心の闇を表し、それらから目を背けることなく、きちんと見つめることで自分を知るという考えの表れです。
こういった過去の神話や信仰を見つめ直そうという動きは、精神分析にも取り入れられ、ユングが有名な「元型論」を発表しています。
ここあたりから、ようやく西洋でも、人の心をブラックボックスから理解しようということになるのです。
実はアメリカから日本に入って来ているスピリチュアリズムは、伝統的なキリスト教を基盤としている所が大きいのです。
キリスト教と違うのはイエス・キリストだけではなく、世界中のいろんな神様を「マスター」と呼んでいることでしょうか。
でも伝統的な西洋思想を受け継いでいる部分もあります。それが「光」と「影」のうち「光」の部分だけをピックアップしていることです。
この世界は「愛」と「光」で満たされているという考え方は、まさにキリスト教的と言えます。しかし、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるというのが、東洋や自然信仰の考え方です。
※あと、オラクルカードに出ている妖精や天使は、あれはスピリチュアルナイズされた妖精や天使と思っていいです。もちろん、私はそれもありだと思っています。「マイ・バースデイ」の妖精さんカード好きだったし(笑)
天使や妖精には人間を守ったり導いてくれる存在もいますが、「出エジプト記」でエジプト全土の長男を虐殺した天使もいるので。
神も天使も精霊も、そういう意味では、人間の理解の範疇を超えたものだと思った方が正解です。
この「シャドウ&ライトオラクルカード」を監修したルーシー・キャベンディッシュさんは、魔女として魔法や神話、占いの研究をされてきた方です。
その彼女からしてみれば、「光しかない」という考えはむしろ偏った思想なのです。
この世界には光も影もある、陰陽混在、そこに善悪はない。私たち日本人には、むしろこっちの方がしっくりくるのではないでしょうか。
キリスト教に異端とされ、台所やトイレに追いやられた自然の精霊たちを再評価し、心の光と影をきちんと見据える。
それがこのカードの目的であり、私がおおいに共感するところなのです。
ご注意!!!
それとスピリチュアルに興味がある方の為に書いておきますが、人に害をなす忌むべき闇の存在というのは確かに存在します。
しかし、それらがいかにもおどろおどろしい、分かりやすい姿で現れることは、ほとんどないと思っていいです。
詐欺師が人当たりがよく、優しい外見なのと同様、それらはたいてい人が同情するよう儚げで弱々しかったり、もっと悪質なのは神や天使や精霊といった光の存在を騙ることもあります。
そして、人の心の弱さや空洞につけ込み、魂を喰い尽くします。
それらが本物なのかを判別する判断力に自信がないのなら、そういったものの存在を見たり感じたりしても、軽々しく深入りしないことです。
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